あけましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年も、新築、耐震改修などに加え、店舗の新築・改修など、
多くのプロジェクトを任せて頂ける機会に恵まれました。

写真の住宅は、昨年夏に竣工した木造住宅です。
千駄木に建つコンパクトなこの木造住宅。
敷地が限られる中で、いかに快適に住まわれることの出来る空間をつくるか。
ご家族や工務店さんも含め、四苦八苦しましたが、無事に完成に至りました。

今年も変わらず、様々な場において、質の高い建物と空間を創り出せるよう力を尽くせたらと思います。

そして新たな一年が、皆様にとってより良き年となりますように。

 

 

あけましておめでとうございます

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すっかり年始から日が経ってしまいました・・・。
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年も、木造住宅の新築、耐震改修などに加え、店舗の新築・改修など、
多くのプロジェクトを任せて頂ける機会に恵まれました。

今年も引き続き、様々な場において、質の高い建物と空間を創り出せるよう力を尽くせたらと思います。

そして新たな一年が、皆様にとってより良き年となりますように。

初詣の写真は、以前にも記載した近所の神社なのですが、能舞台のあった場所には高層マンションが。
舞台は境内のほかの場所に新築されたのですが、少々コンパクトになりましたでしょうか。

いろいろと変化もありますが、それでも人の流れは変わらない深夜の年明けでした。

 

 

あけましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。

昨年は、有難いことに仕事に忙殺された一年でした。

住宅・集合住宅の、新築・改修、店舗の新築・改修などに加え、木造住宅の耐震改修など、
多岐に渡るプロジェクトを任せて頂ける機会に恵まれ、感謝の年となりました。

今年も引き続き、質の高い建物と空間を創り出せるよう力を尽くせたらと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。
そして新たな一年が、皆様にとってより良き年となりますように。

 

あけましておめでとうございます

 

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
新たな一年が、皆様にとってより良き年となりますように。

 

 

エコタウン

菅総理が岩手県の陸前高田へと現地視察をした折に、「山を削って高台に住む所を置き、海岸沿いの漁港などまで通勤する。バイオマス(生物資源)を使った地域暖房を完備したエコタウンをつくる。福祉都市としての性格も持たせる」との提案を表したとの記事を見ました。
大前研一さん(原発関連で数少ない的確な情報を発信されている方々のうちの一人だと勝手に思ってます)も、住宅を高台へ移動させる内容の考えを示されていましたが、どうも同意できません。

土地の所有権が強く、行政の介入できる力の弱い日本では、スピードが求められる今、あまり現実的なプランとは思えません。

また、被災されている方々のごく一部の様子をテレビだけで見ていても、職住近接されている方々が多いと感じる方も多いと思います。漁村から発展してきた町や村であれば、それは容易に推測できること。漁業に限らず、被災された農業に携わる方々も同様なのは言うまでも無く、商工業に携わる方々に関してもそう簡単な話では無いのでは。
乱暴な話ですが仮に職住分離を行えたとしても、結局、利便性を求めて住まいを海辺なり平地に移動してゆくことになるだけのような気がします。

何より、その場で育まれてきた歴史・共同体と言う重要な存在もある。
そう単純に分離できるものでもないのでは無いと思うのです。
大切なのはそれらを踏まえた上で、選択肢の一つとして「元の場所に住む」事をそこに住まわれていた方々が選べる事が重要なのではないでしょうか。
高台に住むという選択肢は当然のこととしても。

しかし、これほどの被害を目の当たりにして、防災を高める事の重要性を考えれば、失われたものをそのまま再現することが良いとはとても言えません。
今回はっきりしたのは、やはりRC造の建物の津波に対する強靭さでした。例え内装や家具は流されてしまっても、建物の躯体は十分再利用に耐え得るものがほとんどだと思われます。そして、避難所には近さと高さとがとにかく絶対に必要であること。基本的な事の重要性を改めて認識した気がします。

それらから、政府に津波の被災地における住居の再建に関して、RC造に対する補助を行うなど、積極的な働き掛けを加えて行うべきだと考えますし、例えば4階建て以上の津波に倒壊しない建物が一定距離をおいて点在するように、都市計画上で誘導できないものかと考えます。

スマートグリットやバイオマスなど、新しい環境技術を用いる件は、被災された人々が生活を戻されたその後でも良いではないですか。逆に日本中の既存の町や村に、それらをどのように適応させて実施できるのか、その大きな試みを進める第一歩になることは間違い無い訳ですから。
ゼロから新しくエコタウンなるものを造り出すことは、データの蓄積などから必要だとは思うのですが、それはあくまで実験を主眼としたものであって、被災されたその地が理想を反映させた巨大な特殊解となる事は避けるべきだと考えます。

どうしても

どうしてもテレビに噛り付いてしまいます。
今回の震災に対しては、ただただ無力感を覚えるだけで、これをどう受け止めればよいのか・・・。
被災された方々には、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
今も苦しい生活を続けている方々、救助に尽力されている方々も、頑張って欲しい。
そして復興の暁には、何度か訪れ、今も友人の住む仙台を尋ねることが出来たらと思う。